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早寝早起き(保育アーカイブ)

くつろぎと安心のゾーンを新設

2019/08/16

昨日15日から3階の幼児空間に「くつろぎゾーン」を設けました。家庭のリビングが、ゆったりとくつろぐ場所であるなら、子どもの生活にもそれは必要です。
「くつろぐ」という言葉は子どもには難しいので、のんびり、ゆったり、といった気持ちをイメージしやすいイラストも近くに掲示しました。
こんな空間が、子どもに必要だろうかと、思う方がいるかもしれません。また空間に余裕があるなら用意してもいいぐらいに考えるかもしれません。しかし、そうではないのです。もっと積極的な意味があります。
◆海外では当たり前にある場所
(マレーシアの保育園)
くつろぐ場所を園内に用意するのは、海外では当たり前です。日本の学校にはプールがあることで驚かれますが、ダイニングやくつろぐ場所がないことにも驚かれます。くつろぐ場所が、いかに当たり前の空間かを表すものとして、海外でよく使われている有名な「保育環境評価スケール」を紹介します。43ある項目のうち、3番目に「くつろぎと安らぎのための家具」があります。
◆「とてもよい」環境を目指して
この保育環境評価で「よい」の評価をえるには、次の3つのことが、揃っていなければなりません。
・1日の相当の時間を、くつろぎの場で過ごすことができる。
・くつろぎの場は、体を動かす遊びのためには使われない。
・柔らかな家具はおおむね清潔で手入れがよく行き届いている。
さらに「とてもよい」のためには、さらに次の2つのことを満たす必要があります。
・くつろぎの場以外にも子どもが使える柔らかい家具がある。
・子どもが使える柔らかくて清潔なおもちゃがたくさんある。
◆リビングは寛ぎの居間
こうした保育の専門的な視点を持ち出さなくても「寛ぎ」が大事だと思い直すことができないでしょうか。子どもは寝ている時間以外は、生活と遊びのなかで学び続けています。そのエネルギー効率は凄まじく、これと同じことを大人は真似できません。くつろぎと安心が得られる空間は、住宅表記では「◯LDK」と表すときのリビング(L)に当たります。生きる、生活するメインとなる空間です。ダイニング(D)やキッチン(K)と併せて、必須の場所として最初に書いてあるように、くつろぐ場所は大切な生活空間でなくてはなりません。
◆くつろぎは養護の条件
人間の生活には「衣食住」が必要です。「住む」ところは「寝る」ところでもあります。そして子どもには「遊ぶ」がなければなりません。すると確かに「子どもの生活」は「遊ぶ」「食べる」「寝る」の3つが時間的にも空間的にも、重要な要素になっています。この3要素を満たすことは、最近、このブログで説明してきた「養護」(生命の保持、情緒の安定)を満たすことでもあります。
生活空間も、最初からその3つのエリアを用意しておけば、園生活はスムーズに運びます。さらに私たちは生活空間を静的なエリアと動的なエリアを対照的に配置することで、生活動線のコンフリクトを避けています。
◆日本の最低基準はサイテー!
ちなみに日本では幼児教育施設が養護を重視した「生活」ではなく、狭い意味の教育でしかない「学校」を前提として基準ができてしまっているので、年齢別の「教室」しか作られません。「生活」という発想がないので、リビングやダイニングや寝室が、建築設計から完全に抜け落ちています。子ども一人当たりに必要な最低面積が1.98㎡しかないのは、一人分の机と椅子を置いたときの面積だからです。ひどい話です。これではとても、ゾーンどころではありませんね。

やりたがるロープの登り降り

2019/08/14

「これを見せたら、可能性は無限大だよって言われました」。小林先生がうれしそうに、話してくれました。「これ」とは、ネットが張られた運動ゾーンの写真です。「無限大だよ」と評価してくださった方は、運動教室の先生です。この環境は、やり方次第では、子どもの力がどんどん引き出されるので、ぜひそうでありたいと思います。

◆ぶら下がりたいという欲求
今朝は新しい運動を、子どもが取り入れました。「子どもが」というのは、こういうことです。みんな「布地の緑のスイング遊具」をクルクル回すのが好きですが、中には、よじれた部分をロープのようによじ登ろうとする子がいます。「そうか、よじ登りたいのか」と気づいたので、こぶをつけたロープを2本垂らしました。すると「やりたい!やりたい!」と列ができました。これは、懸垂力を伸ばすチャンスだと思いました。子どもが「あること」をやりたいときに、それをやることで使う能力が伸びようとしているのです。この欲求もまた、じゃれあい遊びと同じように、動物とも共通の、古い小脳の欲求だからです。

◆ネットとロープの組み合わせ
垂らした一本は登り用、もう一本は降り用にして、一方通行にしたところ、どんどんやります。まだ登ることはできませんが、コアラのように、ロープにしがみつくことはできました。ネットを登りきった所から垂らした「降り用」への、安全な移り方を教えると、できました。らんらんのAくんやJくんは、10回以上続けてやっています。わいわいのSくんやKくんも、私の助けを借りながらネットの穴からロープへうまく移りました。


お盆で休みが多かったのですが、しばらくはこの「ネットとロープの組み合わせ」にしておいて、手足の協応や平衡感覚、手で体重を支える支持力、両手で自分の体重をぶら下げることができる懸垂力、そして全身の体幹を育てたいと思います。毎朝、30〜60分の運動ですが「継続は力なり」です。半年経ったら凄いことになっているでしょう。

湧き上がってくる心を受け止めながら

2019/08/08

今週は子どもの「心の解放」がテーマになっています。子どもが「自分の生きたい自分」を生き始めたとき、こんなことをやりたかったんだね、と教えてもらうことがいっぱいあります。今日8日には私たち誰もが持っている「身体をもっと使いたいという衝動」が溢れ出てきた時間がありました。

◆潜在的に持っている力

私がお昼寝マットを胴体に巻いてサンドバック役になってみたら、6人ぐらいの子どもたちが叩く、蹴る、頭突く、押す、剥がす、潜り込む、ぶら下がる・・など、必死で私に向かって「あらん限りの力」を出し切ろうとします。よーし、いいぞ、いいぞ、もっとかかってこい!と思いながら、どうなっていくのかやってみました。
きっかけはJ君が緑の布地の揺れる遊具を丸めて叩いて遊び始めたからで、それなら「園長先生がサンドバックになってあげよう」と試してみたのです。いろんな生活シーンや遊びの中で「やめてー」と叫ぶ子どもが多いのですが、どんな時に叫んでるのか、よーく観察すると、ほんの些細なことが我慢できないので、すぐに他人のせいにしています。まだ3〜4歳の自己中心性を脱していません。そんな彼らの発達心理的な意味を理解しながら、その子一人ひとりの心もちに応えていきました。
15分ぐらいでしょうか、しばらく続きましたが、私はあえて負けてあげなかったので、彼らには達成感はなかったでしょう。そうしたのには、理由があります。
◆私の実体験
私も4歳の頃、大人にこうして遊んでもらったことがあります。思いっきり押しても叩いてもビクともしない、圧倒的な強さの壁。そのときに味わった感情をよく覚えています。自分のなかにある攻撃性や闘争心に火がつく感じ、しかし、いくらやっても力では叶わない相手。やがて悟らされる軽い屈辱感。決してスカッとした爽快感ではありませんでした。もちろん当時こんな分析ができたわけではありません。でも、なぜか何度もやっていましたが、いつしかつまらなくなってやらなくなりました。相手が負けてくれていたら、もっとやっていたかもしれません。それはわかりません。
◆自分のいろんな気持ちに出会ってほしい
彼らもまた、ビクともしない私の身体を相手に、いろんな顔や声や気持ちを見せてくれました。びくともしないことに「アレッ」と意外に思う反応、単純に体を動かすのが楽しいと言う笑顔、タックルして自分がひっくり返ることの面白さ。よーし今度こそ、という気持ちと気合のギアチェンジ、助走を長くして走ってみる工夫、私も想定外なのは、胴体に巻いているお昼寝マットを剥がしにかかる作戦に出てくる子がいて「それもアリなんだ⁈」と、彼の意外なアプローチに彼らしさを感じました。
◆体験の意味について
保育の意味について、何に説得性を感じるかは、科学者でも違いますが、戦いごっこを好むのは「もっと強くなりたい!」という願いの表れということがいわれることがあります。もっと踏み込んで「自信をつけたいから」という深層心理と結びつけることもあります。人間なら誰もが持っている、闘争心や攻撃性、それらと関係もあるでしょう。
でも、そのような一般的な言説が、一人一人の子どものその時々の心理に当てはまるとは限りません。家庭での体験も影響するでしょう。複雑で、変化に富んだ心の動きを、一面的に切り取って解釈しても、真実とは似て非なるものだろうからです。
◆善さに向かう育ちを信じる
そこで私はこう考えています。私の実体験とも一致しているからですが、私は「人はなぜか自らより善き事へ向かって、調整していく力を持っている」(村井実/佐伯胖)という発達観を信じています、というか慣れ親しんでいます。
ですから、こう思います。
まずは子どもたちに、他人との関わりの中でしか噴き出て来ない感情を味わってほしい。お友だちとの関係の中で、息づいている感情と向かいあってほしい。
◆気持ちの調整には時間がかかります
そして、できればこう考えてあげてほしいのです。自分の感情を知りコントロールできるようになるのは、ゆっくりだということ。感情を子どもなりに整理して消化するには、時間がかかります。そのとき、大人から期待された行動がすぐにとれない心理状態というものがあって、自分を守るために、「なにもしない」「いやだ」という時間が必要な場合も多いのです。
家庭や地域には、子どもの同士の関わりの中で学ぶ機会がありません。園生活では、家庭では体験できない社会性を学んでいます。

心の解放と自由遊び

2019/08/05

人は心が解放されると嬉しいと感じます。精神性の自由は、人間性の根幹だからです。空想の羽を伸ばし、自由な発想で自分らしく生きる時間を満喫出来ること。これこそ人権の核心です。だから現代の憲法もその自由を保障します。日本国憲法も同じです。国家は個人の心を縛ってはならないのです。それが「基本的人権の尊重」の意味です。

子どもは心が解放された状態のとき、自由に遊んでいることが多いものです。そのことは昨日お話しました。今日はその続きです。テーマは「自由遊び」についてです。自由遊びが人権の尊重と結びついていることを、私たちは深く理解する必要があります。
◆遊びという切実な要求
こんな文章があります。別冊日経サイエンス『心の成長と発達』から引用します。サイエンスライターのM・ウェンナーは2009年、米国の科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」に掲載されたレポート「遊びはシリアスなニーズ」で、次のように書いています。
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「子どもの頃、ルールのない、空想力に任せた遊びをしたことがないと周囲に適応した幸せな大人に育ちにくい」。
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そして、こう続けます。
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「科学者は、そうした遊びを『自由遊び』と呼んでいるが、社会の中でうまくやっていき、ストレスに対処し、問題解決などの知的スキルを身につけるには、そうした自由遊びが極めて重要だ」
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この結論に至るまで、アメリカの精神科医スチュアート・ブラウンは42年の歳月をかけて6000人から幼年期の話を聞いてデータを集めています。
◆ネットの上での自由遊び
園生活の中で、今日もそんな「自由遊び」を楽しんでいる場面がありました。私が担当している「園長による朝の運動遊び」のときです。ネットへのよじ登りがひと段落すると、ネットに乗ったまま、わいわい、らんらんの男子たちの井戸端が始まりました。
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「ハヤトのシンカリオンだ」「オレはハヤブサ」「じゃあオレはかがやき」「怪物がやってくるぞー」「いまだ、ツバサ!いくぞ!」・・・。
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運動遊びを見守っていたら、子ども同士の戦隊ごっこになっていたのです。ただ、ことばだけですが。その会話遊びは、ゲームなどのルールのある遊びではなく、自分たちで「面白い」「楽しい」と感じる中で思いつくことを友だちに伝えあい、共有していく遊びであり、まさしく「自由遊び」です。
例えば普段、無口なKくんの饒舌なことと言ったらありません。シンカリオンの役割を演じているとき、彼らはコミュニケーション能力、他者理解、自己主張、感情コントロールなどの力を駆使しています。自由遊び、おそるべし!
◆シンカリオンというヒーローたち
私は彼らが何を語っているのか、全くわからないので、こういうときに頼りになるHくんに「シンカリオンってなぁに?」と聞くと明瞭な回答が返ってきました。「新幹線が変身してロボットのシンカリオンになるの」。なるほど、新幹線が変身して新幹線ロボットになる戦隊アニメーションもので、テレビでやっているらしいのです。彼らの心のなかではテレビのヒーローが躍動していたのでした。
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