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2019年

10日の「コーヒーでも飲みながら」は、まず「わらす組」

2019/09/27

保育の質は、子どもの姿で決まります。それは今の姿であり、その姿に「その子らしく意欲的に」何かに向かい合い、取り組んでいるものがあれば、その子は、生きていく力を育てていることになります。しかも、それが関わっている仲間や友や家族と「共にあるという心」をと持ち、周りの世界がより良くなることに貢献することができたら、幸せなことです。「思いやりのある子ども」とは、人や世界がよりよくなるとこを喜べるこころをもった子どものことです。

こういうことができる仕組みを持っていることが、組織マネジメントとしては必要であり、保育の質を評価するときの柱になります。

ところが何故か、子どもの心の育ちを問う理念や視点を吟味しないで、どんな遊びや活動をやっているかだけで、つまりカリキュラムだけで、保育の質が語られることがよくあります。「子どもにこんなこともさせてほしい」「こんな体験も大事だと思います」と言った語りです。

そのとき注意したいのは、そうしたカリキュラムや体験を、子どもの実態や状況を抜きにして「させよう」とすると、子どもがやることが嫌になり、意欲をなくしてしまうという事態が起きやすいことです。保育とは、どの子にも体験させたいことを、子どもには偶然かのように出会わせてあげることです。環境を通した保育は、やるタイミングを子どもに選ばせることを大切にしているのです。

自由は自分で作ること。

2019/09/27

子どもが自由に過ごしている→と千代田せいが保育園を見学された方が仰っていました。

 

よく言われることが多いワードの1つなのですが、ここで勘違いしていただきたくないことがあります。  自由とは自由奔放に好き勝手にやっているということではありません。ここがとても間違って解釈されています。 『自分のやりたいことがみつかる雰囲気』『自分のやりたいことが出来る環境』さらには、『発達を促すような経験』のもとに自由があるのです。

 

■種を植えたい!→育てるってなんだろう?

昨日(27日)の給食にオレンジが出ました。その中には大粒の種が入っています。はると君とそうま君はワクワクしています。『ねーねー。これ植えてみたい』『そうまここにあつめておこう』『はるくんはね、、、』といった具合に二人で盛り上がっていました。

給食後に『先生!これ植えたい!!』とやって来た2人。 そこで、『どうして植えたいの?』と聞いてみると『育てるの。』と答える2人。 『そうか、育てたいのか。わかった。でも、育てるってどうするんだろう?』と聞きました。(実は、以前同じような場面でスイカの種を植えたのですが、植えることで完結してしまい、芽が出ることや水やりはせずにそのまま終わってしまっていたのです。ただやるのでなく、少し考えてみようと思い質問をしました。)
はると君は『みんなに、みかんができて、あげるんだよ』と教えてくれ、『それは、いい考えだ!先生も食べたいな。でも、植えただけではなかなかミカンはできないから育てなきゃいけないんだよね。二人はどうやって育てようと思っているの?』とやり取りをしていると、ちょっと一部を紹介すると『お願いしたらいいかな?』と首をかしげるそうま君。(『トトロだー』と内心たまらなくなりました。)

 

考えながら二人は、『水をあげようかな』『葉っぱをとる(剪定)』『栄養(化成肥料)をあげるかな』といくつか出てきました。経験したことを思い返したのです。

そんなやり取りの末、みかんの種を植えることを始めました。自由に取り組んだスイカの時とは違う姿がこれから見られるかもしれませんね。

 

■プチストーリー

そんな2人との話し合いの末に植えていると、かずと君とれん君が『あっ!僕も持っているよ!』とロッカーから一粒ずつ種をとりだして、見せにきました。漫画でいうと『ぶーーーー』と吹き出してしまうような驚きです。 『えぇーー。ちょっと、どうしようと思ったの?』と聞くと『おうちに持って帰って植えようと思ったんだよ』と2人。 この自由は、、、と思ったので、種の管理について考えることにしました。話し合っていくと『赤ちゃんとか間違えちゃうと危ないか、、、』とそれらしい答えも出てくるのです。それからもう一度種をどうするか考えると一緒に植える流れへとなりました。失敗ではありませんが、このような経験や場面も沢山持って色々と気づき発見していってほしいですね。 ドングリなどもポケットから出てくることがありそうですね。お家でも洗濯前に確認をお願いします。

 

9月27日 昼食

2019/09/27

ご飯

鳥の香味焼き

ひじきの煮物

ほうれん草のすまし汁

麦茶

保護者向けの内容ですみません。

2019/09/27

友達からの相談をちょっとご紹介します。

 

■行きたがらない。

この時期、、、、以前働いていた保育園やその周辺、さらに今息子が通っている保育園での最近の子どもたちの姿で共通する姿があります。これは、地域や保育内容が異なるにも関わらず同じような姿があり、それがある種当たり前のようにもなっている姿です。

『保育園や幼稚園へ行きたがらない姿』です。

理由はなんでしょうか?『運動会前』というのが共通項の1つです。 友人の子どもが行きたがらず困った。と相談をしに来ました。

 

※運動会を否定をするわけではありません。

 

一般的に運動会で多くの子ども達が経験することは、一斉に集団で行う活動を否応なくする事(ダンスやお遊戯)が幼児教育から中学校まで繋がっています。  活動には様々な理由や目的があるでしょう。しかし、根本的な内容が教えている側やそれを見る人々にベクトルが働いているように感じます。活動にどんな楽しみがあって、どんな気持ちよさがあるのかよりも、往々として『どんな作品を作ったか』『どんな踊りや鼓笛隊ができたか』『見て感動する』『運動会という一部分だけをみて出来るようになったと成長を伝える』 そのような物へとなってきてしまっているように感じます。行事はとてもいい経験の場です。しかし、これはやり方を間違えると子どもにとっては生きずらい環境にもなりえませんか。  また、保護者によっては『家の子はできなかった』『集団が苦手?難しいのかな?』とその姿だけで捕らわれてしまうこともあります。育ちという物は行事1つではなく、今の姿を日頃の生活と結びつけ、去年の姿を振り返り、また先の成長をみてこんな風に育っていくのかという今の過程にいることを感じる時間にしてほしいですね。

さて、子どもたちは今どんな育ちをしているのでしょうか?

 

■どうしたらいいかな?最近、言うことを聞かなくなった。という相談。

言うことを聞かなくなったようで、伝えたいことがありすぎて、まず私の話聞いてよ!が聴く力よりも伝えたいになっているのかもしれない。 『ねーねー。なにか話したいことがあるんじゃない?』と何気なく聞いてみたら?  話させるのではなく、話したくなるように。 また、『今日はこんなことがあったんだよ。』と楽しいことや、そうでもなかったこと、疲れた出来事、話したいことをまずはこちらが話してみるのもどうでしょう。 色々な家庭の様子を聞いていると、子どもが今日のことを話す家庭ほど親が今日の出来事を『よく』話しています。 言うことをきく、のではなくキャッチボール!これが会話の基本。そのキャッチボールを沢山持っていくなかで、本当に伝えたいことが伝わるんじゃないかな。

 

 

☆事例ではありませんが、10月10日は、アットホームでリラックスしたコーヒータイムをしませんか?ブラジル産をご用意してお待ちしております。(園長先生よろしくお願いいたします。)  ちょっと文章では固いですが、もっと軽く、肩の力をぬいて色々な内容を話したいですね!

 

人 を見ているということ

2019/09/26

『もう少し、この姿の育ちには時間がかかる』

園長が書かれていた園長日記の一文です。
半年がたち自分自身の保育を見直す振り返りのため、藤森先生の白本を読んでいるのですがそこでふと上記の一文が思い浮かびます。

■せいが の保育目標から

『自分らしく、意欲的で、思いやりのある子』

わらす組の子どもたちは、半年を通してそれぞれの子どもたちが『自分らしく』『意欲的』に過ごすようになってきたと感じます。いかがでしょうか? 『のんびり過ごそう』『これをやろう』と自分らしく1日の活動を作っていたり『保育園でこれをやるんだ~』と登園したり、『これを持って帰りたい。これを保育園に持っていきたい』(そして、こんなことをしたいんだ)
そんな気持ちが姿で現れていますね。

■見守れない反省

時間がかかる→とはどのような姿かというと1つは『思いやり』という所だと私は考えています。社会性の部分ですね。社会性も詳しく書くと多岐にわたるので、保育園の今の中でみてみると自己主張のぶつかり合いが毎日見られています。まず自己主張をすることは大切な行為でありこれがないと社会性もなにも始まりません。相手がいて初めて始まるからです。今まさにそこが子どもたちの姿から見られるところでもあります。

相手を認知した上で

自分の存在、相手の存在、相手からどんな風に思われるか間接的に見る自分、集団の中での自分がどうすればいいのかという心持ち、これらはたくさんの経験のなかで養われていくことであります。しかし、実際のぶつかり合いは文章で要約できるほど簡単なものではありません。

 

『本当はどうしたかった?』『自分の気持ちを作ってみよう』『今やっていることは、一旦落ち着いて考えたらどう』

子どものありのままの姿を受け入れて、子ども自身が育っていく力があることを信じていく。 これは確かに大切でよくわかります。でも、実際の今はと言うと見守るというよりも、気づけるように、考えるきっかけを与えるように、心を落ち着かせるようにと関わって教えている場面が多くなっているのが今の現状です。

■前向きに捉えること

例えばクライミングゾーンを巧みに使えるようになってきました。しかし、それとは反対にやんちゃな姿、他の子に影響があるような振る舞いが出てきています。この姿にどんな風に子ども達に伝えようか?と考えると ①走りません。 足からおります というような掲示をして守れるようにしようか?と浮かびます。 ただ、この禁止や抑制はあまり効果的ではありません。一過性でその場には有効でしょうが、、、②約束を守りたい(約束を守ることがより活動を楽しくすること) と自ら働きかけるようにしたいですね。 前向きに捉える方法の一つにマイスターという掲示をしてみようか、など検討をしています。 どんな経験がいいのでしょ。そして、子どもたちに今だからこそ経験できることはなんなのでしょうか?

 

■大事なこと

保育を考えるときにゴールがあるようでなく、その道筋も不透明なのですが、色々考えて、考えて、考え抜いているときに

 

『そりゃ、そうだよ。だって人を育てているんだもん』と自分にメッセージを送ることがあります。

なにかのシステムを作るのではない。何かの商品を売るのではない。サービスを提供するのではない。会社の利益のために働くのではない。

そうなんです。保育の方法には明確な答えはありません。事例は沢山あってもそれらはあくまで事例に出てきたA君の事です。 人を育てている。 だから悩むこと、振り返ること、それ事態はとても大事なのではないか。   わらす組の子どもたちにとってかけがえのない今を大切にしていきたいです。

保護者会にて、『これから、友達同士の関係が複雑になってきます』というお話をしましたが、今がまさにその時であり、家庭とともにその時を見守っていきたいです。

園だより10月号巻頭言「なんのために力を合わせるのか」

2019/09/26

園だより10月号「なんのために力を合わせるか」

 保護者の方は、千代田せいが保育園の何がいいと思ってくださっているんだろう。何を私たちに期待されているんだろう。私はいつもそれを考えています。それは子どもも同じです。

(おさるのジョージの原題は、キュリアス・ジョージ。好奇心いっぱいのジョージ。人間は好奇心を持って生まれてきます)

「この子たちが大きくなって困らないように、今しかできないこと、今だからこそ体験してほしいことはなんだろう。ねえ、君たちはどうしてほしい?」

   これがなかなか、答えの見つけにくい、深〜い、問いなんですよね。先日、保育団体でお世話になった園長先生と墨田区でそんな話になりました。

(台風が来る前の、セミの抜け殻)

 千代田せいがでも、これを問い続けて、はや半年。アゲハチョウやカブトムシやクワガタやメダカやザリガニだったら、「園長先生、これは幼虫だよ、もうすぐこうなるんだよ、すごいでしょ」と子どもが図鑑を開いて教えてくれます。

(Tくんの家のカブトムシ。数日間保育園でお預かりしました)

月を見れば、明日はこうなると予想がつきます。

(9月14日の満月。29日が新月です。9にあたりから、また月の観察ができそうですね)

スイカのタネを土に埋めて「早くスイカならないかなあ」と子どもが水をあげています

(にこにこ組の水槽にいるエビ。金魚と一緒に生活しています)

    自然の世界はその理(ことわり)が理解できれば、そのあとどうなるか予想がつきますね。もちろん不思議だし知らないことだらけですが。また自然は怖いです。災害の対策も必要ですし。いざという時の備えも大事です。

(政府が作った首都圏直下型地震の震災予想図)

 「でもね、君たち(子どもたち)は、どうなのよ。もうすぐ芽を出したり、美味しい果実になったり、成虫になったりしてくれるかしら。自分のことばっかりじゃなくて、少しはお友達の気持ちも察してあげたり、譲ってあげたりできないかしら」

(木場公園で見つけたものを見せ合う子どもたち)

   人間である私たちは、お腹も空くし眠くもなるし「早寝早起き朝ごはん」を大事しないといけない自然のリズムの中にあります。自然物ですからね。

(ちっち ぐんぐんさんのお昼寝)

でも、自然だけではなくて自分の自由意思を持ち、文化を作り上げ、決まりを編み出していく社会的動物でもあるんでした。だからその2つが混ざり合っていて、教育もややこしいことになっているんですよね。

 子どもたちは、こんな大人の悩みはどこ吹く風で、自分の興味のあること、関心のあることへまっしぐら。この子たちの年齢を考えれば、それは当たり前の発達段階で自然なことです。

(木場公園の冒険広場のターザンロープ)

   だから、もうちょっと時間をかけましょうか。みんなと同じことができることが、決していいわけではありません。まずはしっかりと自分のやりたいことができること、その上で、そのうち周りにも合わせたり協力したりできるようになります。

(にこにこさんを優しく導くらんらんさん)

 この辺りの育ちのバランスはどう考えるといいでしょうか。保育所保育指針の「人間関係」という発達の視点には「支え合って生活するために自立心を育てという表現があります。

(今日26日の誕生会でみた「ぐりとぐら」。この絵本も誕生して50年近くになります。親御さんたちも、これで育った方がいっぱいです)

 

   そうなんです。人が自立するのは、支え合って生活するためなんです。一人で生きている人なんて、どこにもいない。いるとしたら、本人がそう思い込んでいるだけです。

(誕生会では 子どもの手形をあしらったメッセージ月の色紙と顔写真スタンドをプレゼントしています)

   でもどこに向かって協力するかというと、よりよい未来を創り出すためです。いろんな支え合い方を探しましょう。その人なりの「貢献」のかたちです。ラグビーの精神も似ていますね。それが私たちの保育という仕事の究極の目的かもしれません。

【全体】園だより10月号

2019/09/26

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園だより10月号をHPにアップしま

2019/09/26

9月26日に「園だより10号」を配布しましたが、同日にホームページにも載せました。7月の「3カ月アンケート」でご提案いただいた情報のホームページでの一元化を、少しずつ進めています。

 

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