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STEM保育(保育アーカイブ)

ドングリ遊びの中で起きていること

2023/10/21

昨日20日(金)は、保育園を選ぶために来園された方の見学が終わる頃、散歩から園児が帰ってきました。乳児も幼児も秋の収穫物がいろいろです。どんぐりや銀杏、ひめりんご、紫色の何かの木の実も混ざっています。さあ、それを並べたり、潰して色水にしたり、紙や布に浸したり、染めたり、実を転がしたり土に埋めたり、まあ色々なことがなされるでしょう。

どんぐりなら、幼児は毎年のようにコマや、やじろべえが作られたり、色が塗られたり、動物などのマスコットやリース、モビールなどの装飾に使われたりします。

4〜5歳児の子たちは、数日前から牛乳パックでできた長い道を、どんぐりを転がして遊んでいます。右に転がると行き止まりで「はずれ」。左に行くとさらに進めるのだそうです。道から落ちたどんぐりは透明カップの中にうまく落ちれば「あたり」です。さらにそこから先の道ができるのかどうか? そんなことをやるのに子どもの列ができたりしています。

その奥の方では面白いどんぐりマスコットができていました。どんぐりを顔に見立てて、マジックで目や口を描いています。それは絵本「かおかお いろんなかお」と同じコンセプトで、4歳の女の子二人が「眠いかお」とか「うんちのときのかお」などと、いろんな場面の顔を実際に担任にして見せてくれ、それをどんぐりの顔にしていました。

3歳児の男の子は床に落ちて跳ねるどんぐりが面白くなって、床に投げては跳ねさせることを繰り返したり、もっと上に高く投げてみる子どもが出てきたりします。今度は一つずつではなく、数個をまとめて続けて投げる子どもが出てきて、どんぐりがそこらじゅうに転がって散らばると、それに加わった5歳の子は「どんぐりまつりだ」とはしゃいでいます。ちょっとはしゃぎすぎると、先生から「ちょっと遊び方が違うかもなあ」と修正されたりしながらですが(笑)。

こういう姿を見ていると、子どもは思いつきでいろんな遊びを楽しんでいるのですが、年齢によってもその差が見られ、遊びの「あてどなさ」とでもいうのでしょうか、受動的にあれもこれもと注意が拡散している時期から、だんだん目的を持ってやることが高度になっていく感じが確かにあるのです。その辺りの違いはクラスごとの保育ドキュメンテーションで比べてもらえるとわかるかもしれません。

しかし、そのことをもっと本質的に捉えると次のようなことになりそうです。無藤隆先生が、このような遊びの特質を次のように表現されていましたので、了解をいただきましたので、ちょっと長いのですが全文をご紹介します。

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○幼児は一歩前に踏み出し新鮮さに出会う

幼児はどうして毎日のように園に来て、毎日のように新しいことに取り組むような新鮮な気持ちで遊ぶのであろうか。

そもそも、今という時間は静止した固定したことではない。常に動きつつ、その流動はどうやらその瞬間といいながらもごく短い時間の継起としても経験されるらしい。その瞬間は今でありつつ、既にその次の一瞬に踏み出しかけ、そしてその少し先への予感としての開かれた先へと方向付けられる。より正確には、その踏み出す勢いがその先の何かを開き、方向付けとなるのだろう。

別に哲学的あるいは科学的な議論をしたいわけではない。幼児がその身近な環境に出会う様子を記述したいのである。その今を一歩踏み出す。そこに環境との呼応があり、気まぐれがあり、偶然があり、思いつきが促し、思いがけないことが起こる。そこに新鮮さが現れるだろう。

そこには型通りの行動や予定されたいつもの活動であり、時に昨日の続きであるにしても、そこにはそのような新たなことが生まれ、その新たなことへと踏みだし、踏み出すから新たなことが一層そうなっていく。それは「今」が揺らぎの中にあり、流動する中の瞬間であり、そこにその先への決定はできないからである。

とりわけ幼児はその統御より、その揺らぎにおいて生きている。統御がなされつつも、その先への大きな方向と切りかえのいわばギアは徐々に起こるのであり、それは半ばのことなのである。

その統御の不完全さは人としておそらく常にそうなのだが、とりわけ幼児はその不完全さが顕著であり、それがかえって新たな可能性をその一歩先の未来へと作り出す。それは例えば、何かを作りながら考え思いつき作っていくことであり、そのプロセスを生きることである。

朝の活動の開始を見れば分かるように、そこには昨日の続きはいつも曖昧にしか起こらない。ものを作ることと片付けることが一緒になっていることでもあり、新たに作り出すことが基本的なあり方となっている。昨日の活動の跡があろうと、それは痕跡であり、単なるパズルの続きをすることにはならない。

そして一歩新たに踏み出すと、そこでそれを通して生まれるものの配置は新たなものとなり、そこに未知の可能性が見えてくる。それをさらに踏み込めば次の可能性がまた多岐に広がるだろう。

幼児の世界はそのようにして、新鮮さに満ちている。新たな可能性の探究に常になっていく。遊びとはそのような新鮮さを充満させる営みなのである。そのようにして生きることは可能性を生み出し、その実現はさらなる可能性を広げることであり、そこに活動の豊さが生まれる。その新鮮な輝きは自分が世界の中にあり、その中で惑溺し、その感情を生きることである。

そこを振り返り、今後に向けて見渡すことを行って、その活動の流れが生起し、自覚され、方向付けることも増えていく。それは多様な活動を方向付け、ある制限を設けることだがそれに伴い、より焦点化した探究となり、深さの追究となるのである。

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いかがでしょうか。連日、遊んでいる子どもたちには、確かに、こんなことが起きていると思えるのです。3歳の子どもたちが「どんぐり祭りだ!」と多少ハメを外すように見えたとしても、それに遊びの本質が現れていて、自分がやったことから、またフィードバックが起きて、新たに現れてくる新鮮さに惑溺しながら、その楽しさを満喫している瞬間の連続なのでしょう。

ちなみに年長はその後、事務室にどんぐりの入った袋を冷蔵庫に入れて凍らせてくれと頼みにきました。

「第3回 乳幼児STEM保育実践研究会」での私の気づき

2023/10/17

昨日16日(月)に東京理科大学で開かれた3回乳幼児STEM保育研修会(主催・乳幼児STEM保育研究会)がありました。この研修会は、今回で3回目だったのですが、STEMという切り口から入ったとしても、実際の保育は要領や領域環境などの中で言われてきたことと変わりはなく、他の分野と同じように日常の中にあるものから、どのようにそれを見つけるか、取り出すか、あるいは実際に環境を用意するかということだと思います。

この数年、幼児教育と科学の関係を考えることが増えました。そこで読み返しているものに『理科大好き!の子どもを育てる 心理学・脳科学者からの提言』(無藤隆編者・北大路書房 2008年)があります。幼児期から中高生までの理科の在り方についての本で、出版されて15年ほど経ちますが、内容の性格からしても、普遍的なこと、原則的なことので、今でもとても参考になります。特に第1章の12の原則は、ことあるごとに読み返しています。その中に乳幼児にも通じるものがあるのです。

その12を書き出すと、次のようになります。

・身体的動きの原型から発する・自然への気づきは恣意的なものではない・驚異の念を保持する・好きなことから注意を育てる・日常的世界の見方をかえる・ものを作り出し、組み立てる・抽象への移行を支える心的モデルを作る・科学的探索の技能を教える・知識を組み替えていく・熟達のモデルに出会う・学びを尊重する文化を育てる・適時に学び、早期に展望し、遅く理解する

この本のことを思い出したのは、そこに書いてあることとで、研修会の実践を振り返ると理解がつながって、個人的にはとても有意義な気づきを得ることができました。

それは、誤解を恐れずに端的にいうと、次のような感じです。

・子どもの楽しい、面白いというところから始まって、既に持っている本人の既有知識が身体的働きを通じて新しい気づきを得ながら、それがセンスオブワンダーを保持していきながら、さらにもっとどうなっているんだろうという、世界への探究に向かっていく動きが生まれていくこと。

・そこには、わかった!やへえ、そうなんだ!などが起きていて、じゃあ、ちょっとこうしてみたらどうなるかな、という工夫や試行錯誤が、それは言い方を変えると環境との関わり方や意味を取り入れていくプロセスが生じていて、そのプロセスの中には、新たに関心から注意がそこに向かうので、つまり環境からの<呼びかけ>が新たに<聞こえてくる>ようなことなので、さらにそこへ入り込もうとする<思いつき>や<ひらめき>が生まれている。

・その思いつきやひらめきは、最初の楽しい、や面白いという感じがあればこそ、そこには遊び心が躍動している感じが大事。リラックスしていて、なんでもやっていいんだという開放された心理状態になっている方がいい。何か期待されていたり、正解が求められているという変なプレッシャーなない方がいい。自分と対象との関係の間に、面白さや楽しさがあるから、その営みの循環が起きていることで、さらに先に進んでいくことができる。

こんな感じです。ステムの実践は面白いですね。

環境との関わり方や意味に気づく

2023/10/12

先週から毎日のように午前中は外へ出かけています。乳児は佐久間公園、34歳は電車で十思公園、年長は科学技術館と北の丸公園です。園庭がない当園のような保育園は、地域を園庭代わりに使いこなすために、それぞれの場所の特徴を保育に取り込んでいきます。それぞれの活動の様子は各クラスのドキュメンテーション(スマホで見ることができます)でご覧ください。

私は今日は年長と一緒に過ごしたのですが、科学技術館はお泊まり会いらい2回目です。1回目よりも今回の方がそれぞれの場所や装置に馴染みがあるので、少し体験が深まったようです。鍵盤が描かれた床を足で踏むとその音が鳴るのですが、当てずっぽうで歩いたり走ったりすると、それで音がすること自体が面白いようで、何度も繰り返しています。

NHKのピタゴラスイッチで球が転がっていくと物が動いたり倒れたりしながら、ゴールまで辿り着くのがありますが、あれと同じようなことを、ボーリングの球ぐらい大きな金属球で、フロア全体をぐるりと一周させるようなゾーンがあります。

機械を操作して押したり、転がしたり、クレーンで持ち上げたりしながら、その都度、止まってしまう球をなんとか次の場所へ動かすような仕掛けになっています。かなり力がいるのですが、球を動かすことで、仕掛けの意味(物体に働く力のパターン)に気づくことができます。

このようなことが面白いのは、自分の身体、感覚を使って働きかけながら、物が動いたり変わったり音がしたりするからでしょう。具体的に触ったり、握ったり、押したり弾いたり、引っ張って弾いたり、自分で働きかけたことで物が変化していく。そこには物理法則があるのですが、体験することで何か気づき、じゃあこうしたら?と考えたり工夫したりすることが起きていました。どうしたらいいのかわからなくなるときは、その仕組みを理解することが難しい場合です。それでも遊び方を教えるだけで、やり方がわかれば楽しめるので、大事なことはやることで気づけるようになっていました。

同じようなことが、お弁当のあと、北の丸公園の雑木林で遊んだ時にもありました。木登りです。

どの木なら登ることができるか?木の枝と自分の手足、バランスの関係を探りながら、あれこれ考えながら登ることができる手順を発見していきます。

枝の隙間に靴がや膝が挟まって動かなくなったり、斜めの木にお尻と足を押しつけてバランスをとっている状態から、次の上の枝に手が届かない時は諦めるしかない、ということに気づいたり。身体と木との会話のようなことが繰り広げられていました。環境との関わり方と意味に気づくことが、こんな形でも起きているんですね。

食べているお米に近づく過程

2023/09/16

栽培や飼育という活動は、食育や自然との関わり・生命尊重のテーマとして、生活の中に位置づいています。以下の記録は、5月から始まった長い活動が、一つの節目にきたことを取り上げています。12日月曜日に年長さん9人がやった稲刈りの様子です。収穫が終わると、これから白米に至るまでのプロセスを丹念に体験していく活動が始まります。

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5月末にそれぞれのバケツに植えた稲🌾

 

 

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こんなに大きくなりました..!

野菜と一緒に毎日水をたっぷりあげ、月曜日、ついに!稲刈りをしました。

たくさんの葉っぱの中にある 稲 を探し出し、根本からハサミで切る作業は難しくもありましたが、神宮司先生に説明してもらうとすぐにコツをつかみ、器用に収穫していました。

 

今日は、この稲が食べられるようになるまで(みんなのご飯になるまで)の過程を、みんなで観察しながら共有しました。

(少し見えづらくてすみません.. )

「どの順番でお米になると思う〜?」と子どもたちに言ってみると、

じっくり観察しはじめました。

Yちゃんが少しずつ稲からお米に近づいている過程を発見し、みんなに伝えると、「ほんとだ〜〜!」とみんなも近くで見ながら発見!

稲刈り→乾燥→脱穀→もみすり→玄米→白米になって、みんなの食べているご飯になっているという過程を、実際に育て、収穫して体験しながら学んだ時間でした。

受動的な気づきから自覚的な気づきへ

2023/09/11

こういうことが、STEAMの基本なんだろうな、と思います。あれ、色が変わっていく、面白いな、という感じだったらしい。4歳児クラスの男の子。10月で5歳になる。こういうところに注意が向くようになってきたんですね。

私たちが「もの」の世界の法則(物理や化学や地学など)を理解していく学びは、本人がその世界が面白い!と感じながら、その世界に入り込んでいけるといいな、と思います。

いろんな刺激を受動的に受け止めていた乳児のころ。水や色で遊んできた体験のなかから、彼なりに、慣れ(馴れ)親しんできたとこ(現象)とは違うこと(新奇性)に気づいた(発見)したようです。それまでのこととは違う、新しいと感じることと同じような体験を重ねることで、ある種の規則(法則)を気づくのかもしれません。

以下は、9日の先生のブログです。8日の出来事です。

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絵の具遊びでスポイトを使っているうちに、だんだん水分が増えて「色水」になってきたので、そのまま水道台へお引越し。色水遊びになりました。

色水に、水道水が足されていくと、だんだん透明になっていく様子に気が付いた らんらん組のRくん。


「色がなくなった!」と、実験を繰り返していました。

(蛇口の下のカップの、水の色の変化に注目!)

 

真剣なまなざしです。

にこにこ組のAくんは、さまざまな色を作って、きれいに並べていました。

 


Rくんが、「これ、凍らせてみたい」とのことで、遊び終わったあと、冷凍庫へ。週明け、どんなふうに固まっているでしょう…!?カラフルな氷ができるかな?と大人もちょっと楽しみです。

大人が模造紙にクレヨンで絵を描くと、その上を絵の具で塗ってみる すいすい組(5歳クラス)のYちゃん。

「あれ?!塗れない〜!」と、クレヨンが絵の具をはじくことを不思議そうに発見していました。


Rくんも、同じように試してみます。

遊びの中でさまざまなことを発見し、不思議がり、試し、繰り返してみる子どもたちです。その子なりの世界の広がり方が面白いです。

第2回 全国実践研究大会 in 石川・富山(2日目)

2023/08/26

全国実践研究大会の2日目は、実践発表です。6つの実践が報告されたのですが、その後の藤森代表の講評の内容に沿って、実践の特徴を以下に簡単にまとめておきます。今年こども基本法が施行されました。これは子どもの権利条約を制度化したもの、と捉えることができます。そこで子どもの人権を大切にするということを、改めて保育で考えるとき、いくつかのキーワードから保育実践を振り返ることができそうです。そういう意味でも6つの実践は全てその参考になるものでした。

まず、子どもの人権や主体性を考えるとき、キーワードとなるのは「参加・参画」でしょう。子ども自身がどうするかを思い巡らしたり、意見や思いを反映を物事の決定に反映させてもらうこと。また意思決定のプロセスで話し合いなどをしたりしながら、子どもたちなりに最善の方法を考えていくことも含まれます。子どもの権利条約で「4つの柱」と言われているものの一つ「参加する権利」の具体化と言えます。

そうした「自己決定」と「選択」という視点から実践を報告したのは、芦花の丘かたるぱ保育園(東京都)の「君たちはどう育つか」。自分の意見だけではなく、他人の意見も受けとめて考える保育を積み重ねてきた結果「今では傾聴する力や受容する力が根付いてきた」といいます。年長児が野菜を育てていく活動の様子から「仲間と作る1年」が報告されました。

子どもの人権には「自分らしく育つことの権利」もうたわれています。その根底になるであろう心の基盤の一つとして大切に育てたいのは「自己肯定感」です。国際比較でも日本の若者のそれが低いことが、この間ずっと懸念されてきました。これは「今のありのままの自分を受け入れる力」と言っていいものですが、そこに注目した発表が、新宿いるまこども園(東京都)からありました。子どもの自発的な活動や、他者から認めてもらう経験を大切にする保育です。発達が異なる集団の中での生活や遊びの中に、そうした関わりが生まれ自己肯定感が育まれていくことがよくわかる内容でした。

同じ法人のいるま保育園(埼玉県)からは「我が国の課題に向き合う、見守る保育・藤森メソッド」と題して、自己有用感にスポットを当てた実践の分析が報告されました。乳児が幼児の姿をじっと見つめ、それを真似てお友達にやってあげる・させてあげる姿、幼児クラスでの当番活動、年下の子どもへのお世話や手伝い、ピーステーブルでの話し合いなどが動画で報告されました。異年齢での生活や遊びの中にそうした関わりが自然とたくさん発生しています。

子どもは障がいの有無や年齢、ジェンダーで差別されてはなりません。保育における包摂のテーマを取り上げたのは、幼保連携型認定こども園 城山幼稚園(熊本県)の「見守る保育におけるインクルーシブ」でした。具体的にはオープン保育、チーム保育、お手伝い保育、共食などを通じて「みんなと同じように活動に参加できない子どもを年長児が自然に受け入れ、その子用に遊具を用意したり、みんなで遊べるルールを作り始める」様子が報告されました。

「園庭にどんな遊具や場所があったらいいと思う?」。子どもにカメラを持たせ、子どもが何に興味を持ちどんな園庭を望んでいるのかを把握しながら園庭を作り直したのは、ちゅうりっぷ認定こども園(富山県)です。「子どもの様子や視点から園庭環境を考える」取り組みで、「子どもの参画」を大切にしていました。子どもの意見が反映させた園庭が徐々にできていく様子を、わくわくした顔つきで見つめていました。

子どもの人権には、子どもの育つ権利を含まれます。子どもの驚きや不思議に思う体験が起きるような環境づくりに取り組んでいるのが、わかばこども園(石川県)の「子どもの驚き・不思議さを引き出せ!〜STEAM保育の実践とこれから〜」でした。日常の中で感じた不思議について、自分達で調べたり遊びに発展させられるような保育を目指しています。

少しずつ感じる秋の気配

2023/08/24

この夏もカブトムシのつがい2組が大活躍しましたね。そして小さな卵を残して天国へ旅立っていきました。子どもたちは毎朝セッセと餌のゼリーを与え、持ち方を覚え、絵を描きました。何人もの子どもたちから、何回も得意そうに手とっている姿を見ましたが、そろそろカブトムシとの交流も終わりを迎えます。

甲子園で優勝が決まる頃、毎年「これで夏が過ぎたな」と個人的には思うのですが、子どもたちはこの残暑厳しい中でどんな時に秋を感じるだろう?と思ったりします。スズムシも相変わらずリ〜ン、リ〜ンと泣いていますが、その卵も何個も見つかりました。小さな命がこうやってつながっていきます。当園で4代目になりますね。

保育園の隣は区の駐輪場ですが、その前の花壇に開園時に私が植えた苗がやっと大きくなり梨の実がなりました。まだ一つだけです。みかんの木はアゲハの幼虫に食べられて葉っぱがなくなっていましたが、またやわらない新芽が吹き出て、そこにまたアゲハの幼虫がいます。こちらは、もうしばらく「あおむし」の観察が続けられます。

区役所の近くに百日紅(さるすべり)の木が並んでいます。枝の下の方から咲き始めますが、花も先の方に移ってきました。こちらの花もそろそろ見納めの時期がきたようです。

「作る」を経て「使う」へ

2023/08/22

今月8月から年長組による週1回の「お手伝い保育」が始まりました。今日は事務所担当(つまり園長担当)の2回目でした。年長の子どもたち9人が3人ずつ0〜1歳、2歳、事務室に分かれます。私のところにはKさん、Yさん、Sくんの3人がやってきました。私は主に生き物のお世話や、教材作りを手伝ってもらいます。

今日の教材作りは2つ。一つは、階段に掲示してある「お月様」に、「きのう」「きょう」「あした」の三匹の「たぬき」を作ってもらうこと。もう一つはライトボックスの上で、図形を並べて遊ぶための遊具です。

「たぬき」は「今夜はここだよ!」と教えてくれるためのものですが、そういうものを作ってほしいというと、わかった!こうするといいよ!と張り切って作り方を話し出します。「画用紙にたぬきを描いて、切って、周りをセロテープで貼って・・・」。「そうそう。じゃあ、テーブルを用意しておくから準備して」というと、早速、クレヨンと画用紙をクラスへ取りに行きます。

絵本「つきよ」に出てくるたぬきをモデルに描きます。できた絵は、透明な名前ケースに入れて手すりに結びつけて、ずらせるようにしました。

百均で買った色セロファンを、ハサミで四角や三角の形に切り、ラミネートをします。ヒラヒラして柔らかく、手につきやすいセロファンをハサミで切るのは難しいのですが、私がマジックで引いた線に沿って切り抜いてくれました。ラミネートをかけるところを見たのは初めてらしく、触っていい場所を確認したり「出てきた!」「あったかい」など気づいたことを色々話してくれます。

赤、青、黄、緑の4種類の四角、三角ができました。すかしてみると「おもしろい」「ねえ、みてみて。赤いよ」と、その色で見える景色を眺めています。机の上に乗せて見るのと、明るい場所にすかしてみるのとの違いなどを、色々と気づいてくれたら。ライトボックスは7月の納涼会でも使ったので覚えているらしく、明るさを変えたり、できた図形を並べてみたりしました。早速、重なったところの色が変わることをしばらく楽しんでいました。

この教材作りは、3人ぐらいでやるのがいい。光遊びの遊具は、すでに同じようなものが市販されているのですが、それを「使って遊ぶ」に留めず、あえて「作ってみる」ことで、それが出来上がるまでに、予想しなかった仕組みに気づいたり、難しいことに出合ったり、どうやったらできるかを考えたりする機会になります。子どもたちもそこが面白いようです。

 

冷えたコップの表面が濡れるのはなぜ?

2023/08/17

撮影した動画をそのまま再現すると、5月で6歳になったMさんは私にこう説明してくれました。

「氷が当たって、(コップが)冷たくなってから、それからこの水をこっちに出してきた」

「そうなんだね。こっちに水がでてきたんだね」「うん」

何の説明かというと、冷えたコップはなぜ水滴がつくのかという理由です。

事務室にある冷蔵庫の上が結露して濡れていました。触ってみたら「あ、冷たい」というので、「どうして濡れたのかなあ」ということになり、私が「じゃあ、実験してみよう」ということになったのです。

二つの同じガラスコップに水を注ぎました。室温に冷めていたポットがあったので、その水を注ぎました。

片方には氷を入れてしばらく見ていたら、そちらはコップの表面に露がつきはじめます。

「白くなってきた」と触ります。そして手が濡れたので「それ何?」と聞くと「水」と答えます。

そこで「じゃあ、どうして水が付いたのかな」と聞くと、冒頭の答えが返ってきました。

コップの中の水が出てきたと考えたようです。

大人でも普段何気なく見ていることについて「どうして?」と改めて聞かれると、チコちゃんではありませんが、どうしてだろうとわからないことだらけでしょう。

子どもも見慣れているはずの現象についても、あえて「なぜ?」「どうして?」と考えさせてみることは大事なことだろうと思います。彼女の説明に対して、私は「そうなんだね、中から出てきたんだね」と受け止めたままで終わりました。次は閉鎖された空間の中にできる結露の現象を探してみたいと思います。

興味の窓

2023/08/16

今朝、朝の会の最中に、何かに夢中になっていた しおんくん。
なんだろう?と思って見ていると、陽の光が当たって明るくなっている部分を見つけたようです。その部分を指しながら、「あつ〜い!」と教えてくれました。


きのう、にこにこ組のお部屋で窓の外を眺めていたとき、陰っていた太陽の光がパァッと明るくなった瞬間にも「あつい!」と言っていた しおんくん。
ちょうど前日に そんな姿を見ていたので、『太陽が当たっているところ=あつい』と表現しているのだとすぐ分かりました。陽の光が当たると、温められてあったかくなる…ということを、どこかで体験したのでしょうか。

実際、床が熱くなっていた訳ではないけれど、光が当たると熱くなる…ということは、何かの体験を通して、結びついたのでしょうね。

その後も、自分の影で光が見えなくなったり、陽が陰って光がうすくなったりするのを、不思議そうに見つめたり触ったりして、感じていました。


光が見えると「いた!」。


触れてみたり・・・

眺めてみたり・・・

足踏みして踏んでみたり・・・。

 

しおんくんは何を見てるんだろう?と、すいちゃんも様子を見に来て、ちょこっと触れてみていました。


子どもが面白いなぁと思うモノに出会う瞬間や、その触れ合いを近くで見ていると、同じ世界を一緒に体験できるような気がして、楽しいです。さて、ここからどんなふうに広げていけるでしょうか…♫

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