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2019年 8月

8月13日 昼食

2019/08/13

ご飯

鮭の幽庵焼き

豆腐とゴーヤのチャンプルー

かまぼこの味噌汁

麦茶

「天気の子」をめぐる10代の心情

2019/08/12

ニュースで台風10号の進路を気にしながら、園の防災計画を確認しました。「豪雨や強風で送迎が危険と予想できるときは行政と連携して、送迎時刻の変更などの措置をとる」。今週水曜、木曜あたりは要注意ですね。天気になってほしいですね。
◆子どもにとっての切実さ
台風10号とは関係ないのですが、ちょうどテレビに映画『天気の子』の新海誠監督が出ていました。ぼんやりと、テレビを見ながら朝ごはんを食べていたら、語っている内容の重さにもかかわらず、平易に語るので、ちゃんと見てしまいました。
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「大人の目からみたら些細なことも、10代の子どもにとっては切実だった」
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・・・みたいなことを言っています。テレビのボリュームを上げます。そう言えば、昨日の同窓会でも20歳になったSY君が同じようなことを言っていました。大人は子どもに「正しいことと大事なこと」ばかりさせようとして、子どもにとっての「日常のリアル」を想像できなくなっているのが、私も含めて大人であると。
◆新海誠自身の体験からの視線
団塊ジュニア世代の新海世代が15歳だったころ「いちご世代」と呼ばれていて、私は彼らの文化を追ったルポルタージュを手掛けたことがあります。この世代は雑誌『ムー』創刊時の読者層でもあり、当時、他の世代と比べて神秘現象に高い関心を示していたことを思い出しました。彼は今9歳の子ども(子役の新津ちせ)がいるお父さん。彼が手掛ける表現の新しさが話題になっているので、観てきました。
◆10代に共感を呼ぶところ
映画の主題歌を歌うロックバンドのRADWIMPS(ラッドウィンプス)の歌詞もまた10代に届いています。
再生回数1700万回を超える主題歌「愛にできることはまだあるかい」にでてくる「荒野」という言葉に注目したい。
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「愛の歌も歌われ尽くした/
数多の映画で語られ尽くした/
そんな荒野に生まれ落ちた僕、君」
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と「失われた世代」でもある彼らの閉塞感を漂わせる心情。
「それでも/愛にできることはまだあるよ/僕にできることはまだあるよ」
と歌う。映画もここでグッときました。
◆10代が大河ドラマを見ない理由
「やり尽くされたあとで、まだやることがあるだろうか?」まだやったことのない時代なら、目指す目標は見つけやすかっただろう。大河ドラマが描く東京オリンピックも、朝ドラが描く北海道十勝の酪農やアニメも、その時代なら、まだ誰も踏み入れたことのない未知の大地が広がっていた。しかし現代は違う。何をやっても、きっと過去になされてしまっているだろうという「想像できる既視感」を感じる時代だからでしょうか。それでも「やれること」は愛であり、愛する者への祈りでした。新しく感じるのは自然現象のパワーと一体化している美しさです。
◆細部に潜む自然の美の描き方
長野育ちの新海監督は少年時代に朝暗いうちから凍った湖面でスケートをしていたそうで、日が昇ってくると、山の端から陽が差してきて、真っ暗で青かった湖面がだんだんと縁の方から銀色に輝き始めるのをみるのが好きだったらしい。この監督の映像が美しいのは、そんな感性があるからなのでしょう。

20歳の懐かしい再会

2019/08/11

今年成人式を迎えた11人と再会しました。2004年度にせいがの森を卒園した仲間たちです。保護者とはすぐにわかりますが、園児たちとは「誰だかわかりますか?」と、愉快な名前当てクイズになります。中学までは地域で会っていた子はすぐわかりますが、15年ぶりですぐには分からない子もいました。でも話せばすぐにわかるもので「変わらないね!」となって、楽しかったです。
保護者の皆さんとも当時のエピソードを語りあって、あっという間に時間が経ってしまいます。実に感慨深い日になりました。
 せっかく八王子まで行ったので、雑木林でカブトムシのツガイと、伐採した園庭の桜の枝をもらってきました。
カブトムシがまた、元気に卵を産んでくれるといいんですが。

探索基地の形成と学び

2019/08/10

心が安定すること、つまり「情緒の安定」は「学び」に直結します。それは、どういうことでしょうか。発達や学びの辞典に紹介されているような有名な仮説をもとにすると、こうなります。
(屋上で育てたスイカを収穫。翌日、食べました)
◆「興味・関心」が「生きる世界」の窓になる
9日金曜日の見学者の赤ちゃんは4か月で、案内中、ほとんどお母さんの胸の中で寝ていましたが、後半は目覚めると、話し声がする私の方へ首を振り、私の顔を見つめます。乳児は生後2ヶ月くらいから周りの人の目に視線を集中させるようになります。これは遺伝的基礎に基づきます。この赤ちゃんは私という「未知」の対象に関心を向けています。関心が向かわない限り「生きる世界」は広がりません。関心が生きる世界の窓になっています。私の声と聞き慣れた母親の声を区別し、時々、2人が笑う声に反応したりしていました。
◆子どもの探索基地
この赤ちゃんを眺めながら、私はこうお母さんに話しました。「あー、Aちゃん起きましたね。話を聞いてますね。しっかり私を見つめますね、知らないこのおじさん誰だろうって(笑)」と。この場合は赤ちゃんは「目線」だけですが、身体が自由になる状態なら、興味があるものに手を伸ばして触ろうとしたり、それを口に持っていって確かめようとするでしょう。
(ちっちの子どもたちも、先生が安全基地になっていろんなことをやって楽しんでいます)
そのようなことを盛んにする心理状態は情緒が安定している時です。不安だったり、お腹が減っていたり、眠かったりすると、泣いたりして、まずはお母さんという愛着対象に依存して安心を得ようとするでしょう。そして安心や安全が確保されるとまた「探索活動」が始まります。信頼する人を安全基地や探索基地にしながら、持って生まれた好奇心が世界への学びへと向かわせます。「情緒の安定」が「学び」に直結するとは、こういうことです。
(お友だちとの関わりも盛んです。ちっちのブログをご覧ください)
◆社会的スキルも学習
月齢が上がっても同じことがいえます。ハイハイして、あるいは歩いて目新しいもの、面白いものを求めて探索します。ちっちやぐんぐんの子たちも、探検家のように毎日が発見の連続です。
(にこにこ組の外の通りがよく見える場所。先日の模様替えで作りましたが、とても好評だそうです。子どもたちにとって新奇なものは、大好きだからです。ちなみに、通りからは子どもの顔があまり見えないように、フィルムが貼ってあります)
模様変えした、にこにこの子たちは道路側の観察コーナーが、車や人が見えて人気のようです。わいらんすいも仲間関係の学びがたくさん起きています。「入れて」「いいよ」などの社会的技能を身につけています。また遊びが目的志向的な遊びが見られるようになってきたり、感情のぶつかりあいを通して情動抑制も徐々に(小学校期も含めて)うまくなっていきます。
(スイカの白い種と黒い種があるのに気づいたJ君が、と「どっちも芽がでるのかな?」と疑問をもった。早速、白と黒に分けて土に蒔いてみることになった)
◆情緒の安定と学びは表裏一体
このように保育は家庭でも、この大人の愛情、保護、学びの要素から成り立っているのです。このような心理的機序があるからこそ、私たち保育士は「保育とは養護(生命の保持と情緒の安定)と教育が一体的におこなわれるもの」だということを大切にしているのです。

じゃれあい遊び

2019/08/10

『脳は6歳までに9割りができてくるということ』『脳は子どもの時に急激に出来上がってくること』詳しくは解らなくても聞いたことのある人は多いと思います。大脳、小脳などなど色々な名前がありますが、前頭葉という場所はご存じでしょうか?ちょうど頭の正面の辺りですね。

では、前頭葉の発達に必要な経験とはなんなのか、ご存じでしょうか?

 

 

もう正解を出していますが、じゃれあい遊びがその一つです。じゃれあい遊びってどんなの?と想像するとお母さん達に身近なもので言うと、子ども同士のやり取りの中で(『あぁーー。待って!危ないよ。』)と止めてしまいたくなるような場面をイメージするのではないでしょうか?レンジャーごっこもそれに似ていますがごっこ遊びなので少し違いますが、想像した姿通りだと思います。この、じゃれあい遊びが盛んになり、さらに大きな怪我に繋がらない時期が一歳児頃と言われています。

 

じゃれあい遊びは、先に述べた前頭葉の発達に必要な経験です。子どもと言うよりも生物は元々自分で自分を発達させる能力があり、それを選択してきた分子古生物学の観点があります。どの生き物もじゃれあい遊びをするのです。(動物の赤ちゃんを想像するとありませんか?猫がじゃれあう姿など)

 

 

さて、ではじゃれあう経験を子ども達はどの程度してきているのか?というと、今の世の中にこの経験ができる機会は殆んどないとおもいます。 例えば家庭でみると難しいです。コミュニティ会館へいって初対面の人と会って、そこで子ども通しがじゃれあい始めたらどうでしょう?多くの方は『あぁー怪我させちゃう』『相手の親にどう思われるか』などヒヤヒヤしてしまいます。地域の繋がり、顔の見える関係がない昨今の時代に家庭でじゃれあう経験をさせるのは本当に難しいです。兄弟ができるとじゃれあうような遊びをすることが見られると思います。例えば上の子が下の子に乗ってみたり、そのままクルリンと横転したりなど、、、

さらに、子ども達に申し訳ないのが発達段階もわかり、子ども通しの関係もできてきている保育園であっても『怪我がないように』とじゃれあいを止めるケースが多いと思います。※もちろん怪我をして良いというわけではないです!

 

『怪我をさせたくはない。でも、経験はさせたい。』という観点からじゃれあい遊びの時間を設ける、設定する幼稚園、保育園などもあります。色々なやり方があって良いのですが、『この時間なら良いよ』というのは不自然に思うことが私にはあります。が実際は私たちも止めています。。。

 

このお話を書こうと思ったのは、先日保育の中で運動スペースでじゃれあいをする子ども達がいました。私も止めようか、止めまいか、悩みながらの連続です。声をかけたのは3回。怪我が起きる前に『顔の近くはいけません。』ということを伝えました。 13分の時間をじゃれあい、、、発汗と心拍の上昇、疲れも出てきました。声をかけなければそのままきっとやっていたと思いますがそこで止めました。 『そろそろ、運動ゾーンを閉めるので空いているゾーンで遊ぼう。』と伝えると『、、、』皆無言で靴を履いてゾーンへ。 それまでとてもはしゃいでいた子ども達が、ゾーンへ行くと集中して遊び始めました。絵本や塗り絵、LAQなど(静かだな)といった感じです。

この姿から参加していた子ども達にとっては、じゃれあいは本能的な物で遊びではないんだなと思いました。仮に大好きな遊びならもっとやりたいと思うのです。皆がそそくさとやめられたのは、欲求が満たされたと解釈もできます。満たされた欲求が遊びへと深く導いてくれたと感じました。生理的とかの欲求を越えて『じゃれあいたい』という事を持っているのです。 先にじゃれあい遊びは前頭葉の発達に必要な経験でそれを子どもは自然と選択している。と書きましたが、このような理論は白紙で良い。子どもの姿そのものが『じゃれあい』という経験を望んでおり、欲していると証明してくれたかのように思いました。

怪我はないようにする。でも、欲している経験は存分にさせていってあげたいです。子どもたちは、生き生きと保育園生活を楽しんでいるように感じているので、これでいいのかな?とも思いつつ難しいですね。 保護者の方々とそれぞれの子どもの姿を一緒に考えていきたいですね。

8月10日 昼食

2019/08/10

ソース焼きそば

かぼちゃのサラダ

中華スープ

麦茶

かくれんぼ??

2019/08/10

2人の楽しいやりとりをご覧ください☺︎

 

 

あれあれ?れんくんがカーテンの中に…

ばぁ〜とにっこりれんくん♩

 

今度はわたしもやるよーっと

ゆうちゃんも自分でカーテンを握り

あれ?いない、いない、、、

ばぁ〜とゆうちゃんも真似っこしていました♩

 

ずり這いだった2人があっという間にハイハイができるようになり、そしてお座りも安定し、気付けばこんな素敵なやりとりができるように…

 

成長と共に見える景色が変わり、きっとずり這いの頃に見えていた少し上のお友だちの姿を見ていたのかな?2人の姿を見て、とてもほっこりした気持ちになりました☺︎

 

 

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