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園長の日記

都心でも自然や季節を感じたい

2021/04/26

今日26日(月)、藤崎農場から稲の苗が届きました。明日以降、配布を始めます。日本の田植えは地域によって、あるいは稲の種類によって時期が少しずつ異なるのですが、この4月には、希ですがすでに始まっている地域もあります。多くは5月に行われます。稲をそだてるということも、根のある花を育てるのも、同じ植物なので基本は同じです。花を咲かせて実がなるのですが、稲の場合はそれが「お米」に他ならず、種でもあるわけで、そんな風に稲をまるで花のように育ててみると、面白い発見があるかもしれません。

色々な鯉のぼりができてきました。各クラスで子どもが作っているのを見ると、作り方や描き方もそれぞれのクラスで独創的です。手法は違っても、その子の思いが表れているようでおもしろですね。

園舎に挙げた「鯉のぼり」の挙げ下げを、数人の子どもと一緒にやっています。鯉のぼりを実際に触りってみて、その大きさや色合いを感じ、ロープを引っ張って挙がっていく鯉のぼりを見上げています。遠くからみえる鯉も、実際は相当大きいのですが、それを実感してもらいたい。風が吹いて泳ぎ始めると「わあっ」と声が上がります。風でロープが引っ張られる強さが、子どたちの手にも伝わってきます。

実際に手応えを感じながら、鯉のぼりが風にたなびく姿を目にするという、鯉のぼりを挙げてみる体験ですが、これには何か、色々と「良いもの」が含まれている気がしました。

 

 

 

保育園はこれまで通り〜緊急事態宣言(3回目)対応

2021/04/24

本日4月25日から、東京都は緊急事態宣言の対象となりました。期間は5月11日までです。千代田区に保育園の対応を確認していましたが、23日(金)の夜に保護者宛の案内通知が届き、保育園はこれまで通り開園を続けることが確認できましたのでお知らせします。

25日以降の出勤方法の変更等に伴い、保育の必要性が変わった方は、お知らせください。保育園も園児数の減少に伴う職員の勤務変更をします。

引き続き、手洗い、手指消毒、マスク着用、換気、三密防止など感染防止への徹底をお願いします。

 

20210423 新型コロナウイルス感染拡大に伴う対応について

親子ふれあいイベント第一弾「稲の配布」

2021/04/23

 

親子遠足の代わりの「親子ふれあいイベント」を早速始めます。その第一弾は「親子で田植え!」です。苗を配布しますので、家庭で育ててみてください。この稲は私と事務長の2人で、昨年秋に稲刈りをした田んぼの稲です。藤崎農場といいます。この田んぼは私たちの法人で長く付き合っている田んぼで、「耕さない田んぼ」で有名です。無農薬ですから、水田の中にはメダカなどの水生動物がたくさん棲んでいて、空中には虫が飛び交い、サギなど鳥もきます。

そんな生態系が守られている、これから求められているSDGsにふさわしい田んぼです。自然の風雪に晒されているからか、数年前の台風でも倒れない強さもあります。

この藤崎農場の田んぼの仕組みの紹介YouTubeです。見てみてね!
https://youtu.be/I4i9VmC_Ma4

その田植えで使う稲がもうすぐ届きますので、そのお裾分けです。容器を持ってきていただけば、荒木田土とセットで差し上げますので、ちょっと変わったインテリアとしても育ててみてください。

20210423 稲お知らせ(親子ふれあいイベント第一弾)

 

旧今川中学校の校庭で

2021/04/23

千代田区から毎月第2火曜日に借りている旧今川中学校の校庭ですが、先週は雨だったので今日23日に借りることができました。今年度初めての校庭遊びです。新しい、年中らんらんと、年長すいすいで出かけました。

年長と年中だと言っても、先月までは年少、年中だった子どもたちだけに、安全第一でゆとりを持って歩いていきました。列が広がらないように、また前のお友達から離れないように、同じペースで歩くのも難しい段階です。体力もあまりないので、まだまだ時間もかかります。また中学校まで横断歩道が大小合わせて8箇所あり、「右見て左見て、また右を見て」と交通ルールを確かめながらの散歩です。

校庭についたら、ルールを確認した後で遊びました。広々とした空間を走り回ったり、縄跳びやぽっくり、ボール遊びなど思い思いの遊びを楽しみました。

このような広い空間に出ると、普段できないだけに、喜びも意欲も全開です。ちょっと足りないぐらいの方が、大事にしたり、返って意欲が引き出されたりすることもあることがわかります。これから1年間、この子たちがこの空間をどんな風に使いこなしていくか、とっても楽しみになりました。

 

 

子どもの目線に合った実験づくり

2021/04/22

え〜、どうして? フライパンが浮いたことに、驚きの声をあげたのは、年長のKMさん。

22日(木)の幼児クラスわいらんすいの誕生会では、先生の出し物として「うく?しずむ?」の実験がありました。身近なものを水の入った水槽に入れてみて、浮くか、沈むかを確かめる実験です。やる前に、「浮くと思う人?」「沈むと思う人?」と先生が聞くのですが、それを見ていて「子どもらしいなあ」と感じるのは、「どうしてそうなるのか」ということよりも、「当たった!やったあ!」の方が嬉しいということです。

それでも、さすがに最初は沈んだフライパンが、そっと載せると船のように水に浮いたことに、素直な「びっくり感」が表れていました。でもそれは年長さんぐらいにならないと、「あれ、どうして、不思議だな」という感じになりません。多くの子たちは、答えが外れたことの方が「え〜外れた、残念」という感じであって、関心が不思議さの方にはあまり向きません。

そんな様子を見ていたら、最後にいくつかの石を入れてみると、ふんわり浮いたり、スーッと沈んだり、ふわふわと漂ったりする石があって、それは「あれ!」「え!」という意外さを表していました。そうした子どもの心の動きが見えてくると、どんな実験が、この時期の子どもたちにとって「心動かされる体験」になっていくのかが、見当をつけていくことができそうです。いろいろな実験を通して、見せてくれる乳幼児の姿から、子どもに目線に合った実験をやっていきたいと考えています。

新しい行事のかたち

2021/04/21

この話は散々やってきたので、あまり話題にしたくなかったのですが、そうもいかなくなってしまいました。今年も5月22日(土)の「親子遠足」ができるかどうか、微妙な状況になってきたからです。小池都知事はすぐにでも緊急事態宣言を発令したい意向をもっていて、政府も今週末に決断する見通しになりました。

じわじわと増えている東京都の感染数ですが、ここに来て上昇カーブが急になってきました。杞憂で終わって欲しいと願っていたのですが、やはり現実は「悪い方のシナリオ」通りになってきてしまいました。

本日、職員会議で行事のあり方を根底から見直すことが決まりました。目的を達成するために、その手段を柔軟に変えようと思います。親子遠足は(1)親子交流と(2)地域探検が目的です。この2つの目的のために「遠足」というイベントを楽しみにしていたのですが、コロナ禍の中で日程通りに実施する見通しは立てにくく、実施するにしても、今のようなコロナ情勢では、本来の遠足とは程遠いものになってしまいそうです。

密を避けるために規模縮小や時間差などを導入するしかありません。公設の公園などの広場も入場が制限されたり、集まって「お弁当を広げる」ことも無理です。チェックポイントに人が集まる、日陰を求めて密集ができる、建物の中を借りることも許可を取りにくい、などなど、地域との連携で成り立つ要素もハードルが高くなってしまいました。また1日で行う行事を延期などで実施時期を変えることも、長期戦になってきたコロナ禍の中では現実的ではありません。

そこで思い切って、「こどもの日」を含め、GW前から5月下旬までを「親子交流イベント期間」とし、親子で楽しめる複数のイベントを断続的に開催することにします。ある1日だけに限定せず、ある期間のなかでできることをやっていきたいと思います。もう少し詳しいことは、明日以降お知らせします。コロナ禍でもできる「新しい行事へのかたち」を目指します。こんなことで、子どもの体験をなくしたくありませんから。

 

今年度初のバス遠足は浜町公園へ

2021/04/20

全国130カ所で25度を超える「夏日」となった今日20日、今年度初めての「バス遠足」を幼児たちが楽しみました。行き先はバスで10分あまりで着く「浜町公園」です。この公園はブランコや滑り台、シーソーやジャングルジムなどオーソドックスな定番の大型遊具が充実しており、園児たちにとっては飽きない公園です。

3歳児クラスの「わいわい組」は、初めての浜町公園でしたが、ネット遊びやクライミングに馴染んでいる子たちは、大型アスレティック遊具の登り板を躊躇なく登っていました。

すでに馴染んでいる4歳のらんらん、5歳のすいすいの子たちは、最初からやりたかった遊具へ一目散。ブランコにはすぐに列ができていました。

アゲハ蝶も飛んでいて、虫好きの男の子たちは夢中で追いかけていました。しばらくすると、器用に帽子で捕まえたそうで、走って見せに来てくれました。とっても嬉しそうです。

保育園へ持って帰りたい気持ちもあったと思いますが、そこはお友達と話し合って逃してあげることにしたそうで、こんなところにも、経験の積み重ねからくる年長らしい育ちを感じます。

夢中で捕まえたものを放してあげる、優しさや心の余裕は、3歳4歳では難しいものだからです。

園庭のない保育園にとって、広い公園で思いっきり走り回れるのもありがたいことです。この公園にはラグビーボールを輪切りにしたようななだらかな丘があるのですが、そこへ走り上がったり、坂を駆け降りたり、全身のバランスを手や足を協応させながら、思いっきり走り回ることで滑らかな身体を育てます。

今日は、遊具の方へ興味が強かったので、鬼ごっこなどは見られませんでしたが、そのうち、いろんな身体的な遊びがこうした公園でも見られるようになっていくことでしょう。

それにしても、4月下旬で夏日に近い日があり、台風も沖縄にくるような気候変動、温暖化に加えて、新型コロナの変異ウイルス感染の拡大で東京もまた緊急事態宣言へという流れになりそうです。思うような活動がやりにくい状態が続きます。行事も含めて、できることを柔軟に実施しながら子どもたちの発達を支えていきたいと思います。

 

鯉のぼり

2021/04/19

先週、子どもたちに鯉のぼりを見せたとき、「わあ、おおっきい!」と喜んでいたのですが、どこに揚げようかと考えた末に、保育園の正面近くにしてみました。ちょうど角あたりにすると、風向きによって昭和通り側にも、柳原通り側にもなびきます。

玄関からロープを引いて鯉のぼりを揚げたり降ろしたりできるようにしたので、明日からは子どもと一緒に鯉のぼりを挙げます。こういうの、子どもには堪らなく面白ことなんです。ワクワク、ドキドキが子どもの好奇心の鼓動です。きっと大きな音がするでしょう。楽しみです。

新宿せいが子ども園の環境を視察しました

2021/04/17

今日は新宿せいが子ども園へ出かけて、保育環境を見学してきました。藤森統括園長から「これからの時代の教育や保育」のポイントをレクチャーしていただき、その後、じっくりと環境を見てきました。子どもたちが生きていくことになるこれからの「不確かな社会」は、少子化とAIの社会になります。そこでは共感や協同する力が不可欠になります。そのために乳幼児の頃から、集団の中で粘り強さや気持ちを立て直す力(レジリエンス)などの根っことなるものを育んでいくことが必要です。そのためにも「子ども同士の関わり」の中で、感情をコントロールできる力や、話し合ったり協力して何かを成し遂げる力が必要です。

そんなこと確認しながら保育を考えるのは楽しいものです。私たちの生活にどんな意義があるのか、それを確認しながら保育を計画していくことができることに、仕事のやりがいを感じます。世界的には産業革命以降に始まった個人のスキルを社会の目的に合わせる教育から、180度転換する必要があるのですが、OECD(経済協力開発機構)でさえ、すでにその転換を唱えているのですが、日本ではそのための教育改革ビジョンがなかなか見えてきません。しかし、それが必要なことは間違いなく、それに気づいている教育者たちが独自に取り組んでいるという状態です。

新宿せいがの2階は幼児の生活空間なのですが、伝承遊びゾーンは「多文化ゾーン」に変化し、また年長組すいすいの活動の中にお手伝い活動に加えて、科学実験活動の充実が図られていました。時代の変化が保育ゾーンの変化となっていました。千代田せいがは狭いので、知恵を出して工夫していこうと思います。

自分らしさを取り戻すために

2021/04/16

私は子どもたちが覆っている目に見えない殻を取り去ってあげています。そんなふうに感じる時があります。じゃれあって笑い転げて、お腹が捻れるくらいに、腹の底から声を出してみるような体験です。そんな時に気づきます。この子たちは、自分でも知らない間に、目に見えない被り物の中で生きている時があるんだなあ、と。

すると、ほら、出てきた、出てきた、本物の自分が。被り物を捨て去ってみると、そこにムクムクと出てきます。その子の素顔が出てきます。子どもと一緒にいると、こんな感覚になることがあるんです。そうだよ、そこを出しちゃっていいんだよと。

この子たちは私たちが死んだ後の時代を生きていきます。次の時代の担い手だからこそ、「子どもは未来」だとじんわりと思います。だから、その未来の時代は今よりももっといい時代になっていて欲しい。でも、その前にこの子たちは現在(いま)を最もよく生きていてほしい。現在を最もよく生きながら、しかも望ましい未来を作り出す力の基礎も育ててあげたい。確かに、こういう趣旨のことが、保育所保育の原理、保育の目標になっています。でも言うのは簡単ですが、こんなに都合のいい話を実現できるほど、私たち大人は賢いとも思えません。

目の前の子どもが、まだ言葉で表せない思いを抱えていたりします。それは決して同じ思いではありません。それぞれが異なっているし、異なっている今を生きています。こうしたい、ああしたいといういろんな気持ちを抱えている子どもたちが目の前で、笑ったり、泣いたり、怒ったり、怖がったり、いろいろです。その様々な思いは、いろいろな形と色いあいを持っていて、聞こえてくる音色もそれぞれです。

しかし、違う形や色合いや音色であっても、どこ子にも同じエネルギーを放っています。それはこの世に宿った生命の躍動から発しているものです。この子どもの「一途なもの」をもっと愛しみたいという想いにかられます。

子どもが自分でも忘れてしまうことさえある、一途な心への共感を子育ての真ん中に、揺るがぬように据えてしっかりと見守っていたい。子どもは必ず自分で歩き始めます。本当に「自分で」歩き始めるということを信じましょう。そうでないと、いつの間にか「いい子の仮面」をかぶって生きていることになってしまうからです。

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